大阪行ってきました。

3日間、見てきました!
剛さんのソロ見たな〜〜〜〜っっって1日目、久々に喰らった2日目、昨日喰らったおかげでふぁ〜っとしてられた3日目。

ドラムソロやら綴る〜歴史間やら、意識浮遊タイムがたくさんあったので久々に剛さんのことをいっぱい考えてしまいました(笑)
という訳で色々。



楽しいという感情をきゃきゃっとした気持ちの昂りと定義して使うならば、楽しくはなかったんですよね。
もちろん、生きて動いて歌う剛さんに会える、という絶対的な幸福感はある。


特に2日目のドラムがまた、出口の見えないトンネルっぷりで、おまっ、いつまでやんのよ・・・・ぐるぐる、
目を回していたらば殿、一回目の演奏が気に入らずやり直した〜とのこと。
やり直しは家でやってくれー!


いつも楽しいの引き合いに出してしまって申し訳ないんですが、「楽しい!」って言ったら嵐コンとか、
前〜〜に行ったエイトコンとかそっちの方が絶対楽しいんですよね。きゃきゃっとなる。元気になる。

しかしさ、まったくその快楽に剛さんへの気持ちはびくともしないわけですよ。
もう断然、断トツ、特別。
例えば絶対楽しい嵐コンと絶対苦しい剛さんが同日にあって、全然、悩む要素が無い。

「こんなにも剛さんが好きな自分」に酔うという快楽かしら?
ドンピシャきたーーーーー!!という時の剛さんがあまりに素晴らしいから?(それはもちろん素晴らしい。)




この、時に快楽をも軽く超える剛さんの存在感ってホント何なのかしら。
確かに歌が好き。声が好き。顔も佇まいも好き。
ちょこっとジャンプするだけでもくるっと回るだけでも周りの空気が変わるみたいな、不思議にリズムをたたえた身体の動きも好き。

でも、ドラム、長い・・・・・、話、着地点見えず・・・・・、アカペラ、声は素晴らしすぎるけど、やっぱ着地点見えねえ・・・・。

ぐるぐる。
息苦しい・・・。


ってこれくらい考えてもまだ剛さんドラム叩いてたね、2日目(笑)



お話もですね、タンク時代に対剛専用ホンヤクコンニャクが自分の中にあったんですが(勝手に作った)
久しく使ってなかったから探すの大変でしたよ。
いや、剛さんはずっと、同じことを伝えようとしてくれてますよね。

ただ揚げ足とれまくりな、スキだらけの話術で、しかし思いは真剣だからハラハラじっとりしてくるのだよ・・・。


でもね、もし剛さんにあの真摯な思いを巧みに伝える話術まであったら、あの愛され力とも相俟ってマジで
崇め奉る剛様になってしまうかもだもんね・・・・。
至らないことこそが、剛さんを剛様でなく、つよーの、つよしー、の、剛さーん、の、
愛すべき現世のエンターテイナーに引き止めてくれいるのかも。


うーん、そうか?そうかな?
つれづれ。



たぶん、これくらい考え事して、ようやくドラムから立ち上がってくれたような(笑)





しかしこんな好き勝手に楽しくないだの長いだの何やらかんやら言えるのも、明日も明後日も1年後も、
剛さんが生きて歌ってくれているからだと勝手に信じていられるからなんだよな、とも思う。
明日も明後日も1年後も剛さんが生きていてくれる幸せ。

人生一度きり、毎日も一度きり。




歌以外だと、意識飛ばしがちだったんですが、やっぱり、もちろん、歌はすごかったです。
2日目の『空』が、すごくよかった。
あの日のあの時の歌声、すーーーーごい好きな声だった。

鼓膜が、剛さんの声で震えるんですよね。
そのことがすごい幸せだ〜って思った。


とにかくふぁ〜っとした空気感の中で剛さんの歌だけはものすごい力強さ。
ぼくがかわいいのは知ってます、とか、しゃべりだすと止まらないことがありますが、とか、
んー、とか、んーとか、ゆっくりほわーんとした空気で喋るのとは別で、歌声は芯が太いのね。

それが、カッコよいんだわ〜・・・。
歌い始めると、空気が引き締まる。



最後のセッションは、やっぱなげーよ、と思ってしまいがちなので剛さんの存在を忘れてみるという技を実行しました(笑)
忘れるって、そら本気では忘れられませんが、剛さんのことばかり気にしてると「剛さんっ・・ま、まだですか?」
って思っちゃうから、『ただ音楽の鳴る空間にいる』っていう風にしてみた。
試行錯誤。








ぐだぐだっとしたまま、終わります。
着地する文章って、どうしたらいい。