4月30日のメモ

自分の目はどこにある?



まとまらないけど折に触れ考えることで、昨日の女子SPのことで余計に考えてしまったので(not深刻)書き留めておく。


思うこと、考えること、感じること、心は自由だと思っている。
それが自分から見える自分の形だ。
でも、自由だけど影響も受け易い。
もともとの形を忘れてしまうくらい。


昨日書いたように私はキムヨナ選手のことがある時期から非常に苦手になってしまった。
はじまりはそうだったかな?と思うともちろん違う。
特に、なんの思い入れもなかったはず。


すこし、ひっかかって、そうしたらネット上にはそれを全力で肯定してくれることが溢れていた。
冷静なものも、ヒスっているのも。
そのヒステリーぶりや、持ち出すのもなんですが、まあ剛さんを嫌いで仕方ない方達の様相と一緒である。
感情の結集するたるやそんなもんなんだろう。



うあー…とも思ったけど、わたしはそれを受け入れてしまったのだ。
腑に落ちてしまったのだ。




わたしの、もともとの見る目は何処に行っちゃったんだろう?
なんて知らん振りしてもそれもわたしが選んだわけだ。


別に、フィギュアスケートはただのお茶の間ファンで、ルールも詳しくないし、普通に楽しんでるだけ。
日本の選手、みんな微笑ましくて、可愛くて、真摯で、大好き。


だから、そんな苦手な選手がいることくらいどうでもいいことなんだけど、この感情に対峙する時どうも自分に対してバツが悪い。
たぶん8割どこかの皆の受売りの目だから。


でも確かにそう感じてしまうのよ。




これが、好きの増幅だったらね。
こうやって10年もネットで日記書いたりしてられるのは正に好きの増幅の成せる技なわけで。




このことだけじゃないんだけど、自分の世界にこもらず、人の話にも耳を傾け、でも自分の始発点は見失わない、そういうふうに、物事を感じたいわー。



あ、電車着いた。
帰ってフリー見ますぞ!追っかけ再生じゃー。