私もよく、私の好きだった上司に、「ちゃんと結婚して、子ども産んで、そういう普通の苦労をしなさい。」と言われたなーと最近ニュースを見ていて思い出す。


同じようなフレーズでも、どんな口調か、誰が言うか、どんなシチュエーションかで意味とか捉え方とかまったく変わるので比べられないけれど、私はこれを言われてもイヤではなくて、いつも「ほんとフラフラフラフラ自分の楽しみだけ追いかけている人生ですいません」って思ってた。


結婚しない自由も、子どもを持たない自由も、また、意図せずともそう選択せざるを得ない人生も、あって当然で揶揄されるものではないと思うけれど、一方で、その自由な世界というのは、脈々と産んで育てて亡くなって、それを繰り返してきてくれたお父さんとかお母さんとかおじいちゃんとかおばあちゃんのおかげな訳だ。
やっぱり、生物としては子どもが産まれなくなったら終わっちゃう。
仕事をしていても思うけど、子どもたちって言うのは未来のお客様だ。子どもを持ちながら働くのは大変で、バシバシ仕事してたら子ども産んでる場合じゃないような気がして、どんどんそういう風潮になってきているけど、子どもが産まれなかったら会社の未来のお客様がいなくなっちゃう。



私もこんなんでも奇跡的に結婚して、まだ子どもいないけど、どうするのかなってたまに考える。
こうやって自分が好きなことをしたい、享受だけして、後に何も残していかないってそんなの勝手かなあって。
勝手に生きて勝手に死んでもいいみたいなこと思っていたこともあるけど、それが出来るのは前に戻るけどやっぱりその脈々と産まれて育てて亡くなってという繰り返しが行われてきたからなんだよなって。


結婚しないの?とか子どもいないの?とか、品のない意味で発言する人もいるけれど、それと、その自由を当たり前の物だ!とキーキー主張するのは違うと思うと思う今日この頃・・・。
きちんと筋を通して批判する方もいればキーキーする方もいるのは何にだってそうだけどさ・・・。



なんかな・・・とにかく冷静な40代50代60代・・を迎えたいと言う想いが年を重ねるごとに強くなってきているのです。
逃げてるのかなあ。
人前では笑い声ですら大きく上げたくない。冷静に、老後を迎えたい。誰も否定したくない。誰も崇め奉りたくない。すべて飲み込んで、好きか好きでないか大々大好きかくらいで分けたい。(やべー。つよしさん思考が)

あー。静かなおばさんで静かなおばあちゃんになりたいよー。もうおばさんか。さらっと生きてさらっと死んで行きたい。
そうは問屋が下ろしてくれないのが人生であろうか。
わたしよ、どうか、どうか、周りへの感謝を忘れないでいられますように。