3月18日のまとまらないメモ

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ヽ(;▽;)ノ



(゚o゚



好きな顔文字。



先週から10時半に寝ることにしたらやっぱりPCする時間がなかった。



SHOCKのこと、平安結祈のこと、書き留めたいと心をかすめていくものもがあるけど上手くつかめない。
なんというか、結局ぼーっと見てるだけのような気もする。



年々、SHOCKでも剛さんのライブでも、泣いてる方が増えていると感じているんだけど、
わたしはSHOCKで誰にも物語にも感情移入していないし、平安結祈で剛さんの涙をみても剛さんに感情移入はしていなくて、
その顔にぎゅっと惹かれる、好きだけど、涙にはならない。


その境地に混ざってみたい、と思うこともあるけどそんなコントロールはきかない。
感じることってほんと自由だ。



泣いてないから何も感じてないとか、そんなこたーないから別になんちゅーことでもないんですが(笑)






SHOCKって、もともと物語なんかどうでもよくて、器のような感じ。(おおきな、とんでもなく豪華な器。中に入るものを魅力的に見せる入れ物)
それを、光一さんのSHOCKに対する本気と、ファンの光一さんへの本気がそこに命を宿し物語にしたんだとわたしは思っていて。
出来上がった物語を与えられて、その世界にたゆたって感動するような装置ではなく、見る側もSHOCKに本気で向かっていて、本気と本気のぶつかり合いで涙となるような、なにかが生まれているように思える。



先日友人といろいろSHOCKの話をしておもしろかったので。



わたしはソリタリで、内君が出られずオレの見せ場だったのに!と怒りを爆発させるのに、ソリタリがどう見てもコウイチのために創られたものにしか見えなくて、演じられることのなかった、内君がそこにいる、彼の見せ場がそこにある、ソリタリって創ってあると思う?って思ってて(笑)

わたしは、それがあったらいいなあと思うんだよね。
それは、前の演目でもそう思ってたんだけど。


みんなが気づかれないようにカバーしたじゃない!って言われても、それがあった、という余地が見えた方が切なくて好きなんだよな。





あとはもう完全にせつない好きの妄想の世界なんだけど、視点をぐるっと変えて、「ライバル」がコウイチを見てる今のつくりじゃなくて、
コウイチが「ライバル」を見る、そうしたらどうなるかな?って。


これには、それに相当するライバル役が必要だから・・・・。


コウイチが、カンパニーとしての全体をじゃなく、「誰か」を見る、意識することになったらもう色んなシーンが意味を変えると思うの。
土台が同じでも。
これを考えるとどきどきしてしまう。




まあそのように、ぐたぐたと定まらないことがいろいろ頭をよぎっては去っていってます。







今日の兄弟は、剛さんのいい顔がたくさん見られた。


吉高ちゃんはかわいいのは分かる。
だが苦手に感じる。
その心を見つめると、この子が全部持っていってちやほやされるのが腹立たしい、んだと思う。